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福生の気功治療院「快気堂」の考える人生哲学

福生にある「快気堂」は大自然が万物を育む力「化育の力」を味方につける生き方(理性だけで生きるのではなく、本能を主導とする生き方)を究極とし、ただ身体の不調や悩みを解消するのではなく、気功を通して寿命までの残り時間を有効に使う手段としての「丁度好い加減の快"至福"と言う感情を足とする生き方」を教えています。
そんなの「快気堂」の考える哲学を、より多くの方たちに知っていただくため、院内での直接気功治療はもちろん、遠隔を使っての治療も行っておりますので、お気軽にお問い合わせください。

無意識と感情

有意識と無意識

人間は有意識と無意識に分かれる。有意識が2%、無意識が98%である。現実に人間が意識できる2%で98%は意識することができない。無意識は認識できない。人間は認識できる2%は支配できるが、認識できない98%は支配できないでいる。支配していない98%を味方にするか敵にするかでは、生き方が全く違う。地球より重いと言われる命は98%の中に含まれている。生きている人間にとって一番大事なものは命だが、無意識にとっても一番大事なものは命である。命がなければ有意識も無意識も存在しなくなるからである。一番大事な命を一番大事にする生き方をすれば98%が味方をしてくれるはずである。「この生き方をするぞ」と言葉で無意識に伝えることはできないので、治療という行為で伝えていく。何も考えないで、命の希望するところへ気を送っていくだけの治療ですが、98%の無意識には伝わって反応してくれるのです。本当に単純な治療なのですが、良く効きます。

理性と感情

快気堂では病気は、理性の同意がなければ発症しないと考えています。感情はあくまでも感情ですから、理屈ではありません。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いです。それは個人個人違います。どうして好きなのか嫌いなのかは、理性で判断してからの理由付けは出来ても、直感的な感情だけでは理由付けは出来ません。だから感情だけで不快と感じたものは、理屈無しで不快なのです。其の不快さがある一定の量になると、理性ではコントロールできない状態になると考えます。感情を殺すと言うことは、理性の理屈で感情を抑えることです。理性の理屈で説得できなくなったとき、人間はある行動にでないとバランスが取れなくなると考えます。感情と理性のバランスが取れなくなることは、人間ではなくなると言うことです。自己否定につながり自殺などへの行動も出てきます。それで、理性は便法として、「病気だから」という理屈を考え出したような気がします。感情は責任を理性に押し付けるからいいのですが、理性は押し付けることが出来ません。だから「正常では無い」という理由で「病気だから仕方が無い」と理屈をつけて納得しているのではないかと考えます。そして判断を生命力の部分に押し付けていると考えます。生命の維持は寿命が来るまで本能の仕事です。下駄を預けられた本能は、生命の維持の役割を果たそうと自然治癒力や記憶の忘却、慣れなどあらゆる手を尽くして病気の状態を元に戻そうとします。生命力と自然治癒力を活発にして、感情と理性のバランスを計ることが如何にしても必要になります。そのためには感情の面でも理性の面でも、不快ななものを出来るだけ無くすことが必要になります。それが出来るものは感情や理性を超えたものでなければなりません。それを快気堂では『愛』として捉えています。当然それは個人の感情によって異なりますから、理屈では説明できません。これが愛だと言葉では説明できません。体験していただくしか、他に方法はありません。体験によって感情や理性が愛として受け入れ、本能が愛として認めたとき、治癒が起こると考えています。この状態を「気が合う」「気の波長が合う」と言っています。気が合えば治るし、気が合わねば治らないということです。よって快気堂では、一回千円の体験治療を受けて頂いて、効果を確認できたかたのみ治療をしています。また直接治療は初回の治療代は半額にさせて頂いてます。